神戸地方裁判所 昭和51年(行ウ)36号
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
被告が原告に対し昭和四五年一〇月一日付でなした懲戒免職処分を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決。
二 被告
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
との判決。
第二請求の原因
一 原告の経歴、職務
原告は昭和四二年三月愛媛大学文学部を卒業し、同年四月兵庫県公立学校教員に採用され、直ちに兵庫県立三原高等学校教諭に任じられた。
原告は同校に在職中社会科を担当し、昭和四五年度は、第一学年一組、二組(普通科)で地理、第二学年三組、四組(就職クラス)、六組、七組(進学セカンドクラス)で倫理社会、第三学年十組(家政科)で日本史の各教科指導を担当していた。
二 懲戒処分
被告は原告に対し、昭和四五年一〇月一日付をもって、地方公務員法第二九条第一項第一号ないし第三号に基づくものとして懲戒免職処分(以下、本件懲戒処分という。)をした。
その処分理由は、「昭和四五年六月二〇日から同年九月二六日までの間において、第一学年一組および同学年二組の地理Bの科目について正規の教育計画に基づく授業を行なわず、また同年九月四日から同月八日までの間行なわれた第一学年および第二学年の考査において、四日間にわたり、試験監督を行なわないなど、しばしば職務命令に従わず職務上の義務に違反し、職務を怠る行為があった」というものである。
三 本件懲戒処分の違法性
本件懲戒処分は次の理由により違法であるから取消されるべきである。
(一) 原告の行為は地方公務員法第二九条第一項第一号ないし第三号に該当しない。
(二) 本件懲戒処分は原告の行為に対する過酷な処分であって、懲戒権の濫用にあたる。
すなわち、最高裁判所は、分限免職処分について、公務員の免職処分については特に厳密・慎重であることが要求される旨判示している(昭和四八年九月一四日判決、判例時報七一六号二七頁)。懲戒免職処分は道義的非難に基づきなされるものであり、単に適格性が否定されるだけの分限免職処分よりも重い処分であり、公務員にとっては身分上の「死刑」判決と言ってよい。それだけに、分限免職処分以上に懲戒免職処分については特に厳密・慎重でなければならない。
本件で懲戒処分をするに当ってその事実認定の資料とされたのは、校長報告書が中心であり、その他には生徒からの要望書と第一学年一組と二組の学級日誌のみである。しかも、右校長報告書なるものは、原告に対する本件懲戒処分を意図したうえで、被告に提出するために被告の指導のもとに校長が作成したものであって、処分権者の立場に立った極めて主観的な内容となっており、その信用性は低い。また、学級日誌はそもそも授業の内容がどうであったかを知るために作成されたものではなく、単に当日の学級全体の概括的な状況を担任が把握するために作成されるものである。したがって、これによって原告の行為・言動等を認定できるものではなく本件のごとき微妙でかつ争いの大きい事実関係の資料とするには全く不適当なものである。
その結果、被告は本件懲戒処分を行なうにあたり、(1)原告が二学期の授業開始にあたり、授業の「内容」の展開についての授業計画を有していることを知らなかったこと、(2)原告が意図的に教科書を使用しない授業、教科書に基づかない授業をする「確信犯」であると誤認していたようであること、(3)第一学年一組、二組の学級日誌に記載されている「討論・対話・自習」につき、原告は地理授業の目的・方法についても生徒たちと話し合っていたのに、原告が三原高校の差別教育の問題のみを話していると誤信していたと思われること、(4)三原高校の紛争の内容・経過につき、全校的状況を把握していなかったこと、(5)校長が原告に対する配慮に欠けていたことを処分権者として知らなかったこと等重要な事実につき誤認していた。
また、本件のような場合、校長もしくは被告としては、教科の担当を変える、原告に研修を命じる、又は時期をみて転校させる等の措置をとってしかるべきであるのに、本件ではそうした措置は一切とられていない。
以上の点にかんがみれば、本件につき懲戒免職処分を選択したのは必要限度を超えたものであって、懲戒権の濫用にあたるといわなければならない。
(三) 本件懲戒処分は、原告から何らの事情聴取もせず、原告に弁明の機会も与えず、被告の一方的資料のみによってなされたもので、その処分手続には公正を欠く重大な瑕疵がある。
四 審査請求
原告は昭和四五年一一月一六日兵庫県人事委員会に対し本件懲戒処分について審査請求をしたが、昭和五一年九月二四日本件懲戒処分を承認する旨の裁決がなされ、同年一〇月九日原告は裁決書を受領した。
五 よって、本件懲戒処分を取消す旨の判決を求める。
第三請求原因に対する答弁
請求原因一、二の事実は認める。同三は争う。同四の事実中原告が裁決書を受領した日は知らないが、その余の事実は認める。
《以下事実略》
理由
一 原告の経歴、職務
請求原因一の事実は当事者間に争いがない。
二 本件懲戒処分の存在及び審査請求
請求原因二の事実、及び同四の事実中、被告の裁決書受領日を除くその余の事実は当事者間に争いがない。
三 本件懲戒処分の経緯
(証拠略)及び原告本人尋問の結果(後記採用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を認めることができる。
(一) 学校紛争の発生と推移
1 昭和四五年六月一〇日、三原高校において開催された定例の生徒総会において、同校の就職コースの学級における特定の教師の態度、言動が生徒を軽視し権力的であるとして問題視され、この問題の検討が緊急の動議として取上げられた。その際、当該教師に対し右集会の場に出席するよう求めたところ、右教師がこれに応じなかったことから事態が紛糾し、集会は多数の同校教師に対する批判や同校における差別的な生徒の取扱いに対する抗議に発展した。
2 昭和四五年当時、三原高校の学級編成は、科別として家政科と普通科があり、普通科の中にコース別として就職コースと進学コースが分けられ、さらに、第二、三学年については、進学コースの中に能力別としてトップクラスとセカンドクラスの別が設けられており、進学コースとそれ以外とで使用教科書を異にするなど、いわゆる受験第一主義の体制が存在した。このような学級編成を背景とし、前記総会を端緒として、それ以後、学力や成績と人間の価値、実力テストの意義、高校教育のあり方等について生徒の提起する疑問や批判をめぐって、生徒間の討議、生徒と教師との話合いが続けられることになった。
3 生徒総会の翌一一日には全教師も出席して全校集会が開かれ、三原高校としては従来経験したことのなかった生徒と教師との話合いが行われた。その席で、生徒から学校側に対し、生徒の意見をとり入れること、能力別編成の再検討、授業内容の改善、生徒の人格の尊重の四項目からなる要求が提示された。そして、同日以降も各クラスの授業時間には教科担任との間で、あるいは合同ホームルームの時間や学年集会において右の問題が論議され、そのため教科の授業がほとんど行われない期間が経過した。学校側は、同年六月一九日に至り、生徒指導部が学校側の考えをまとめた原案を作ってこれを職員会議にかけ、翌二〇日学校側の見解を決定したうえ、同月二三日、教師の統一見解としてこれを生徒集会において発表した。その概要は、「教師たちは、生徒たちが人格を尊重し個人の価値を尊ぶ民主主義教育の根本理念に目覚めて、差別教育の実態を訴え、その問題点を提起したものと考える。三原高校には、学級編成、進学指導における予備校的な受験体制からくる教育のゆがみ、家政科、就職コースと進学コースとで教師の配置についての疑惑等「しくみ」上の問題が存在し、その反映として、生徒自身、教師自身、父兄及び一般の人々の中に差別意識が固定化している。これらの問題点を再点検し、差別意識をなくしてゆかねばならない。問題解決の具体的な方法は、教師、生徒、父兄の話合いの場をもつこと、教師の責任で父兄や生徒との討議を重ね、時間をかけて「しくみ」の問題を解決すること、であるが、それには、大学受験、就職試験という現実社会の要請と、憲法、教育基本法に基づく本来の高校教育に立ち返ることとの二つの視点を見失ってはならない。」という趣旨のものであった。原告は前記六月一九日の職員会議の席上、右統一見解を生徒に提示することについて、まだ教師として生徒に対し本音を吐き切れていないところがあり、早々と教師全体で見解を出すことは納得できないとして、ひとりこれに反対し、右会議が深夜終了した後、職員室において先輩や同僚から賛成しない理由を問われて早暁まで論議したが、原告の気持は変らなかった。
4 六月二四日開催された職員会議において、右の問題を生徒にも考えさせ教師との間で討議するため、当分の間短縮授業により七時限目にロングホームルームの時間を設けること、各教科の授業について解決すべき問題は、授業時間中に教科担任の教師と生徒間で討議し、解決され次第授業を再開する等の方針が定められ、ロングホームルーム時間の設置については各クラスの生徒の自主的判断を経たうえ、実施された。同時に、学校側から生徒に対し、右問題の本質を明らかにし問題解決のための具体的なとりくみを検討するため、生徒の有志で構成する専門委員会の設置が要望された。
ロングホームルームは少なくとも第一学期の終了ころまでは行なわれたが、各教科における前記問題の授業時間中の討議はすべての教科において継続的になされたわけではない。すなわち、前記の学級編成のもとで現実に一ないし二年余りの学校生活を体験している第二、三学年の生徒と、入学して間もない、能力別学級編成もない第一学年の生徒とでは、提起された問題の理解、問題に対する関心ないし意識の程度におのずから相当大きな差があり、その反映などもあって、第二、三学年においては、相当程度の授業時間が、特に第三学年においては七月に入って後記の第一学期末テスト実施の是非等をめぐって大半の授業時間が、討議にあてられた模様であるが、第一学年においては、すでに六月二〇日以前からぼつぼつ普通の授業に戻してほしいという声が出はじめ、七月に入ってからある程度の授業時間が次年度の学級編成や第一学期末テスト等に関する討議にあてられ、その他若干の授業時間が前記の問題の討議にあてられたほかは、六月二〇日過ぎ頃以後は、原告が担当する一組、二組以外の各組の地理をも含めて、各教科において、おおむね通常の授業が行なわれていた。
5 第一学期末テストは同年七月六日から同月九日まで実施される予定であったが、第二学年については、前記の経過から、授業が進展していないこと、第一学年については、次年度にコース制をとるか否かにより採用教科書を異にする問題があり、その結論を出すことを迫られているという事情があること、を主たる理由として、第一、二学年の期末テストは九月に延期され、就職試験のために評価をすることが必要とされる第三学年についてのみ同年七月一〇日から四日間実施された。
期末テストについては生徒の中から、六月一〇日以降の紛争過程において学校教育の実態と教師の姿勢が問題とされながら、その諸問題が未解決のうちに、従来同様のテストを行なってこれにより評価をすることに対する疑問と、第一学期末の実施に対する否定的意見が提起され、テストの是非につき授業時間中にも討議が行なわれていた。その結果、就職に必要な評価のため等当面止むを得ないとし、あるいは進んで受験を申出る生徒があった反面、現実にはかなりの試験ボイコット者が出て混乱した。現実に受験した者は、第一日目は約三〇パーセント、第二日目は約五〇パーセント、第三、四日目はいずれも約七〇パーセントであり、家政科においては、第一日目は約五〇パーセントであったが、第二日目以後は全員が受験した。
6 試験ボイコット者の問題は二度にわたる職員会議でとり上げられ、協議の結果、ボイコット者を零点とする取扱いはしないで、追試とかレポートなどにより何らかの点をつけることとし、その評価は結局各教科会議に委せることになった。社会科担当者の会議における結論は、各担当者が適当に行なうということになった。
原告は、期末テストに関し同年七月一日に開催された職員会議において、その実施に反対した一人であり、自己担当の十組の日本史のテストは実施していないが、なお、同テスト実施の最中の同月一一日、第二日目の試験が行なわれたあとで、「学校当局に対し一学期末考査の中止を要求する」との見出しで反対意見を記載した同日付の印刷物を同校教師の間に配布した。また、ボイコット者の評価について前記社会科の会議において、原告は一律に評価する意見を述べたが、その場では右意見に対する良否の結論は出されなかった。原告は、担当の第三学年十組の第一学期末における日本史の成績評価を全員につき一〇点とし、校長の追求に対し、「生徒に上下の点数をつけることは差別につながる。人間が人間を評価することはできない。」と述べた。
7 同年七月二〇日生徒総会が行なわれ、それまでに各学年集会においてまとめられた同年六月一〇日以降の討論、実践の経過がそれぞれ発表され、各学年のまとめが要望書として校長宛に提出され、第一学期が終了した。
8 第二学期は九月から平静に始まり、延期されていた第一、二学年の第一学期末テストが九月四日から同月八日までの間実施された。第一学期に生徒から提起された問題についての討議は、九月に入ってからは、少なくとも第一学年一、二組については後記原告の担当授業時間を除き、他の教科の授業時間には引継がれることなく、通常の教科の授業が実施されており、その他の学年、学級についてもさしたる表面化した混乱や停滞現象は認められず、右問題の討議のため設けられていた第七時限のロングホームルームの時間も、同年一〇月一日から同月四日までの三原高校学校祭の準備などのため、自然行なわれない状態になっていた。
(二) 原告の地理Bの授業状況等
1 原告は、従前は教科書を中心に一方的に生徒に教えるという形態の授業をしていたところ、前記六月一〇日、一一日の話合いの結果、猛省を促されたとして、以後、第一学年一、二組の地理Bの授業は、差別や差別教育に関する話合いに終始していたが、同月一八日の一組の授業において、「家政科の訴えを聞き、地理にひきつけて地理A、地理Bというあり方、地理内容の差別性を考えてみよう、だから今は地理Bの授業はできない、話合いたい」との態度を明示した。君達が疲れているなら自習にしようとの原告の発言で、その授業時間は自習となったが、一組の生徒は、地理Bの授業をやるように要求し、同月一九日の職員会議の席上、同組の学級担任教諭から善処を求める後記4の発言に発展した。原告は、同月二〇日の第一学年二組の地理Bの授業においても、授業できないとし、これをめぐって右一組の件についての質問に対する説明をした。
2 前記学校紛争の過程において、学校側の統一見解がまとめられた昭和四五年六月二〇日ころ以降、原告が担当する第一学年一組及び同二組における週番の生徒が記載した各学級日誌(<証拠略>)に表われた地理Bの時間の内容ないし状況は、別表(略)一、二の「授業を行わなかった状況」欄(ただし、別表一の九月二一日部分を除く。なお、<証拠略>によれば、一組の九月一四日、同月一七日、同月二一日、同月二二日、同月二四日の地理の時間について、また、<証拠略>によれば、九月二日、同月一一日、同月二二日の地理の時間について、いずれも「内容」欄は空白である。)記載のとおりであるほか、後記のとおりである。
右学級日誌の「週番の所感」欄には、一組については、六月二四日の「注目の三時限、先生も生徒も大分冷静になり相手を理解しようと努力しているようだが、やはり進歩は見られない、昼休みのSH自分たちで授業をやっていこうとみんなの意見がまとまる、今こそ一組のチームワークのためされるときだ」との記載についで、同月二五日にはじまる、いわゆる自主授業(その実態は、原告との話合いを嫌って授業を希望する生徒らが、原告の授業を得られないところから、やむなく、原告の了解を得て、当番制で代表者となって教師の代りに地理の教科書を読んで説明を加えるというものであって、原告は、在室はするが、講評、補足説明をすることはなく、また、生徒も一切原告に質問はしていない。)に対する、「これではどうしても欠陥ができる」、「やはり先生が授業するのに比べると生徒の態度が違う、熱心に勉強している人は数える程しかいない」といった感想、批判や、「授業を受けられるようにするにはどうすればよいか」、「地理の先生はなぜ来ないのか」といった言葉が夏休みまでの間に散見され、九月には、「地理の時間を何とかしてほしい」(三日)、「話合いをしたが授業の見通しがつかない」(一〇日)、「クラスの大部分が先生を非難しているように思う」(一四日)、「先生のいう授業と私たちのいう授業はくいちがっている、先生はそれを調節して行こうというが、先生の意見をおしつけ私たちの意見をとり入れてくれないように思われ、調節は不可能である」、「早く授業をせよ」(一七日)、「地理の授業の今後の見通し、先生に質問し書類をかかせはっきりさす、校長先生にきてもらう、私たちの要求をとおす」(一八日)、「地理がいまだに進んでいないのでみんなあせっているように思う」(二二日)などの言葉が記載されている。
二組については、六月二七日に、「四時間目の授業の時自習になった、みんな班になってグループ学習になったが、先生に対して反こうしているみたい」、夏休直前の七月一七日に、「山下先生と生徒が話合ったが歩みよりがあまり見られなかったのが残念、生徒も頭にきているようである」との記載があり(いわゆる自習の実態も、教師代りの生徒が立たないことを除けば、一組の自主授業と大差ないものである。)、九月に入り、「地理の授業は来週からまた話合いらしい、みんなあまり興味なさそう」(二日)、「地理の時間、途中から校長先生が入ってきて山下先生と一の二の教室の話を聞く、ことわりをしなかったのでもめた、私はなんとりくつぽい先生だと思った、山下先生の授業についての態度をなんとかしてもらうための願書を学校へ提出、さて授業はどういう形で私たちにさしてくれるのだろうか、山下先生はどうなるのだろうか」(九日)、「山下先生についての願書はとりやめ、あと二週間ぐらい待てばなんとかなるそうだから」(一〇日)、「地理の時間に二人の生徒が出ていった、たいへん悪いことばで足を机の上へ乗せたりして言ったが、その勇気と真実性に強く感銘した」(一一日)、「問題の発生からの初めての授業だった、初めは少しやかましかった、そしてだんだんさわがしくなった、たいへん残念でした」(一二日。授業の「内容」欄には「湖沼」と記されている。)などの記載、その他、校長の参観による原告との口論の記載がみられる。なお、原告は、七月一三日、一四日の両日、試験が行なわれたことに対する抗議の気持から、教室に出なかったが、別表一、二のその余の月日の授業時間中は、全て当該教室に在室していた。
3 この間、昭和四五年七月一日、第一学年一組の生徒は原告に対し、「我々は週四時間の教科書に基づいた地理Bの授業を当然の権利として要求する」旨の全員が署名した要求書を提出し、第二学期には、欠席者一名を除く全員が署名した昭和四五年九月九日付嘆願書をもって、校長に対し、「地理の授業が混乱状態にあり、授業の遅れを不安に思っている、一刻も早く正常の授業を再開してほしいが、生徒の力ではどうにもならないので、校長の権限で速やかにこの問題を解決処理していただきたい」旨を訴えた。第一学年二組は原告に対し、「計画性のある授業を行なうこと、学校民主化問題等についての話合いのために正規の地理の授業時間を使わないこと、約五〇日間のブランクをどのようにして責任をとるのかを明確にすること、あくまでも教科書にそった授業であることを要求する」旨の全員が署名した同年九月二二日付要求書を提出した。
4 生徒が地理の授業を要求することに関しては、前記統一見解を討議するため六月一九日に開催された職員会議の席上、第一学年一組の学級担任教諭から善処を求める発言があった。しかし、原告は統一見解に対しては前記のとおり批判的であり、「統一見解が短期間のうちに簡単に出てくることがおかしい、授業をやるよりその問題を考えるべきであり、一学期くらいは授業を凍結すべきである」との意見を述べた。多数の他の教員は、「授業を行ないながら問題の解決にあたるべきだ」との意見で原告を説得したが、原告の了解は得られず、結局、授業の問題は管理職が解決すべき問題であるとの結論になった。
第一学期の終了日である七月二〇日、第一学年一組、二組から要望のあった夏季休暇中の地理の授業の補充について、原告、社会科担当教員、第一学年主任、当該学級担任、校長、生徒約四〇名による話合いが行なわれた。その際、社会科担当の一教諭から、原告の承諾があれば自分が補充授業をしてもよいとの申出があったが、原告は授業については自分が責任をとると言って承諾せず、話合いは七時間に及んだが物分れとなった。
夏休中の八月二五日、職員会議のあと、校長は原告と地理の授業について話合い、説得をしたが、原告は、「古い授業のイメージを改善するには時間を要する、生徒から改善の要望が出ているのに依然として古い授業をしていることが問題である」との意見であった。
5 他方、三原高校生徒の父兄からなる育友会において、育友会長名で会員に対し、「三原高校の差別教育問題についての話合いは学校を良くするための純粋な運動と考えられ、決して短時間に話合い、解決のできる問題ばかりではない、生徒の先生に対する不満は大人全体に対する不信でもあるから、家庭においても親子の話合いを通じてお互のあり方を検討すべきである。生徒の正しい批判は先生にも十分考慮して対処してもらわねばならないが、毅然として自信と熱情をもって教育にあたられるよう学校当局に要望している」旨の昭和四五年六月二七日付文書が配付された。しかし、紛争が期末テストのボイコットにまで発展するに至ったため、同年七月一五日育友会臨時総会が招集された。右総会には約三五〇名の父兄が出席し、それは、過去の二回の総会における出席者実数を大幅に上回るものであったけれども、欠席者から委任状を取るという手続を失念したため、定足数不足となり、父兄会に切替えられたが、その席上、原告の出席が求められ、地理の授業につき原告の見解がただされた。原告は、「地理の授業はいかにあるべきかを考えているのであって、永久に授業をしないのではないが、再開のめどは現在のところはっきりとは言えない」旨答弁した。
右集会の結果、父兄会から学校当局に対し、「学校内の改革すべき諸問題については、正常な授業を行なう中で検討をすすめるようにされたい、正常な授業を阻害する教師ならびに生徒を適切に指導されたい、正規授業を確保すること、教師と生徒間の不信感を解消すること、教師の意思統一をはかること、教師は毅然とした態度で生徒を指導すること、正規の組織にのって問題の解決をはかることを要望する」旨の学校正常化に対する要望書が、同日付をもって校長に対し提出された。
6 延期されていた第一、二学年の第一学期末テストは同年九月四日から同月八日に亘り実施された。三原高校では、試験の監督者は、教務が決めて割当表を作成し、これを職員室の黒板に掲示して全員に伝達するというのが習であった。右テストにおいて、原告は、九月四日第二時限第一学年二組の生物、同月五日第二時限第一学年二組の漢文、同月七日第二時限第二学年五組の英語G、同月八日第一時限第二学年六組の英語Rの各試験監督を割当てられていた。初日の四日、原告は、生徒に対し、自分は行かないから、時間が来たら問題用紙を受取ってきて配って欲しい旨告げ、そのまま図書館にいて、定められた教科の試験監督に行かなかった。テストは他の教諭が代って監督し実施された。その後、原告に対し、教頭と教務主任教諭が監督拒否の行為につき注意をしたうえ五日の監督について確認したところ、原告はこれを拒否し、九月七日には校長が原告に対し監督に行くよう命じたが、原告は、「試験はすべきではない、しかし試験の妨害はしていない、生徒に用紙を取りに来て自分たちで受けるように連絡してあるから実施には差支えない」旨述べていずれも監督に行かなかったので、テストは他の教諭が代って監督し実施された。
7 校長は、昭和四五年九月九日第一時限、第一学年二組の教室において約一五分間、原告が地理授業のあり方について生徒と話合いを行なっている時間を参観した。原告は校長に対し、無断で参観したことを抗議した。同日第三時限、校長は第一学年一組の教室において、原告が第一学期の地理の科目の評価について生徒と話合っている時間を終始参観した。
翌九月一〇日、校長は職員室において原告に対し、教頭立会のうえ、「本日より正規の授業計画にもとづく教師の直接指導の加わった授業をしてもらいたい。これは職務命令である。」との命令を出した。後日、右職務命令につき教職員組合分会長らから、権力的な方法であるとして反対された際、校長は、万策尽き、これ以外に方法はないと判断してなしたものである旨答弁した。
同日職務命令の後、校長は第四時限、第一学年一組の教室において、原告が第二学期における地理授業の再開について生徒と話合いを行なっている時間を参観した。原告は、地理の授業を根本的に考えて充実した授業がしたいので、それには時間がかかるとの趣旨を話したのに対し、生徒からは、正常な授業を早くするよう要求する発言がなされていた。
九月一二日、校長と教職員組合員の代表者らとの話合いにおいて、九月二一日を期限として、校長、原告、その他関係者間で授業の正常化について真剣な努力を払うこととし、職務命令を一時保留することになった。
その後、校長は、九月一四日第一学年二組、同月一六日同一組及び二組、同月一七日同一組(社会科担当の他の教員五名も原告との合意のうえで参観)、同月一八日同二組(社会科主任教諭も同席)、同月一九日同二組、同月二一日同一組同月二二日同一組及び二組、同月二四日同一組、同月二六日同二組の原告担当の各地理Bの授業時間を前同様入室し参観した。原告は校長が事前に了承を求めることなく入室したことに対し、そのつど、校長が居ては授業はできない、教育の自由の侵害であるとして抗議し、一方、校長は、授業参観は校長の当然の権限であり、本件の原告の授業の参観は校長の責任上からも必要であるとの考えで、当時の原告の担当時間のほとんどについて、原告の抗議及び教職員組合員の抗議にもかかわらず、右参観を実行したものである。この間、九月一七日に原告が校長の参観につき校長室へ抗議に来た際、校長は、教頭ら立会の場で、あらためて保留した前記職務命令を復活する旨通知した。
右参観にかかる授業時間の内容は、先述の別表一、二につき「授業を行なわなかった状況」欄記載事実のほか、右九月一四日ないし一七日の各時間は、校長の入室に対する原告の抗議や意見表明をめぐる生徒との問答、授業をしないことについての生徒の抗議のうちに経過し、九月一八日、同月一九日には、原告は教科書以外の資料によるテーマ学習の形で授業に入ったが、教科書を基本とした学習を求める生徒との間の対立から、生徒側が落着いて授業を受ける態勢になく、原告が教科書による学習とテーマ学習との配分関係について生徒と話合いをしようとしたものの、もはや生徒はこれを受けつけない状態に至っていた。そして、九月二一日以降は、授業をしない原告に対する生徒らの抗議が激しくなり、「六月に提起された問題を考えてみたい」と言う原告に対し、生徒は原告と対話する気持を既に失っており、第一学年二組においては、原告の意見あるいは話しかけを無視して自習をし、原告に対し、「自習の邪魔をするな」との発言までがあらわれる状態であった。
8 前記認定の事実関係からすれば、六月二〇日から七月一七日までの間の原告と第一学年一、二組の生徒との間の討論、話合いなるものは、一つの方向に向けて相互に建設的な意見を交換するというようなものではなく、差別教育の解消ないし授業を再開する方向として興味を中心とした地理内容をつくり出すことを提案する原告と、早い時期にそうした問題を討議する意味を失ってはいるが、原告の授業を早く再開してもらいたいばかりに話合いには応じたうえ、ただ教科書を中心とする授業の実施を主張する生徒との主張のすれ違いに終始していたにすぎないものであると推認される。
九月に入り、原告は、いわゆるテーマ学習を提案し、前記のとおり、若干の授業を行なっているが、その経過及び内容は、次のとおりである。
(1) 九月二日、二組(一校時)、一組(三校時)において、公害に関連するアサヒグラフ、新聞記事の切抜きを示し、淡路の未来、自然環境と農業、工業等の人間の生活とのかかわりを、海、川、大気等の汚染問題をからめて討論、対話を行なった。
(2) 九月一一日放課後、二組の一部の生徒との間に、テーマ学習と教科書を中心とする授業とを交互にやることの了解ができた。
(3) 原告の取上げたテーマは、湖であり、計画は、四回にわけて、成因、性質、利用の仕方等、利用から生じる問題の原因、を考え、最後にテーマ学習という授業方法についての反省を行なう、というもので、それが済めば、続いて生徒の希望する教科書中心の授業を同じ時間続ける、ということであった。
(4) 九月一二日、二組(二校時)において、原告は、新聞記事(長野県の志賀高原にある池が、観光公害で死の池と化していることが、高校生の夏休みの共同研究でわかったというもの)の切抜きのコピーを配って他の高校の生徒の行なった共同研究を紹介し、教科書等によって、湖の成因や性質などの説明をした。
(5) 九月一八日、二組(六校時)において、生徒からの、公害、カルデラ湖、湖と汚染などについての質問に対し、原告は、琵琶湖の例をあげて説明した。
(6) 九月一九日、二組(二校時)において、教科書の題目湖沼について板書しながら説明を行なった。
(7) 九月二二日、二組代表が、六校時の前に前記の要求書を提出し、テーマ学習授業を拒否した。
(8) 一組においては、九月一七日放課後、一部の生徒との間に二組と同様テーマ学習と教科書を中心とする授業とを交互にやるという話ができたが、翌一八日のホームルームの時間に否決された。
(三) 以上の三原高校における紛争状態、生徒の要望事項等につき、校長は被告に対し必要に応じ報告していたが、原告の昭和四五年六月一〇日から同年九月二六日までの勤務状態については同年九月一四日から同月二六日まで七通の「山下教諭問題に関する報告書」(<証拠略>)をもって兵庫県教育長宛に報告し、これらの報告にもとづき、同年一〇月一日本件懲戒処分がなされた。この間、被告による原告本人からの直接の弁明、事情等の聴取はなされていない。なお、兵庫県条例第三一号「職員の懲戒の手続及び効果に関する条例」中には懲戒の手続につき、第二条「戒告、減給、停職又は懲戒処分としての免職の処分は、その理由を記載した書面を当該職員に交付して行なわなければならない。」との規定が存するが、右弁明等の機会を与えるべき旨の規定は存しない。
(証拠略)及び原告本人の供述中右認定に反する部分は採用することができず、他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
四 本件懲戒処分の適否
(一) 高等学校教諭は高等学校生徒の教育をつかさどることをその職務とする(学校教育法第五一条、第二八条第六項参照)。地方公務員である公立高等学校教諭の地方公務員法第三〇条以下に規定される服務義務は、右教育をつかさどる職務について課せられる。高等学校における教育は、教育基本法第一条に定める教育の目的、学校教育法第四一条、第四二条に定める高等学校の目的及び高等学校教育の目標を達成するため、あらゆる機会にあらゆる場所において実現されるべきものである(教育基本法第二条参照)が、教科指導が教育の具体的内容の主要な一つであることはいうまでもない。教科指導については、監督官庁である文部大臣が学校教育法第四三条に基づき教科に関する事項を定めることとされ、学校教育法施行規則(昭和二二年五月二三日文部省令第一一号)第五七条(昭和五三年八月三〇日文部省令第三一号による改正前)は、「高等学校の教育課程は、別表第三に定める各教科に属する科目及び各教科以外の教育活動によって編成するものとする。」と規定し、右別表において各教科及び各教科に属する科目を定めており、社会科の教科の中に科目として日本史、地理Bが含まれる。同規則第五七条の二は、「高等学校の教育課程については、この章に定めるもののほか、教育課程の基準として文部大臣が別に公示する高等学校学習指導要領によるものとする。」と規定している。また、各教科の主たる教材として教授の用に供せられる図書については、文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない旨規定されている(教科書の発行に関する臨時措置法第二条第一項、学校教法第五一条、第二一条参照)。
(二) そこで、本件において原告に職務上の義務違反ないし職務懈怠があったか否かを吟味する。
前記三の認定事実に(人証略)を総合すると、次のとおり判断される。
1 原告は、第一学年一組の地理Bの授業については、昭和四五年六月二四日以降同年九月二四日まで、同二組の地理Bの授業については、同年六月二〇日以降同年九月二六日までの別表一、二記載の各担当時間に所定の教科書を用いた教科指導をしなかったことは明らかであるが、同年九月二日、同月一二日、同月一八日、同月一九日には、教科書以外の資料によるいわゆるテーマ学習としての授業が、生徒の対応はともかくとして、一応試みられている。
ところで、検定を経た教科書は、教育の機会均等、教育水準の確保、適切な教育内容の確保の原則に基づき定められている学習指導要領をもとにして作成されているものである。学習指導要領中、教育課程の構成、各教科、科目等に関するものは法的拘束力を有するものと解されるから、学習指導要領により義務づけられた教育課程にあっては、教科指導において教科書を主たる教材として用いることが必要である。したがって、教科書以外の資料による指導が学習指導要領に副うものであるか否かは、教科書との関連の程度により判断されなければならないが、本件において原告の行なったいわゆるテーマ学習は、前記三の(二)の8に記載のとおりの経過、内容のものであって、いまだ軌道に乗らないまま断片的なものとして中断のやむなきに至っているとみられるから、これにつき右関連性の有無を判断することは困難である。
また、原告主張のごとく原告が第二学期開始にあたり授業計画を有していたとしても、右テーマ学習の経過、内容、及びこれに対する生徒の対応の状況からみるときは、右授業が、生徒との地理学習の方法論について討議を経た結果、ないしは、少なくとも生徒との六月以降の討論から原告が汲みとりえた適切な授業方針の実践過程とみうるだけの実体を有したものと認めることも困難な段階で、生徒のこれに対する学習意欲を喚起することなく拒否される結果に終っているのである。
原告の長期間に亘る生徒との対話、討論が、学校紛争において生徒の提起した問題の一つである授業内容の改善に関するものを含んでいたことは疑いない。そして、教科指導の時間が、その科目の学習方法に関する指導や生徒からの意見聴取に費やされることは、それが教科指導に必要な範囲のものであり、かつ、学習上にも意義があり、教育の目的、目標に副うものである限りは、授業の一環として考えられて然るべきである。しかしながら、六月一〇日の生徒による問題提起後、三原高校の教育体制、授業内容の改善、教師と生徒との交流につき具体的方策の検討は残されたとはいえ、教師の側で生徒の問題提起に対しいかに答えるか、そして、早く紛争を解決したいということから、問題提起の意義の把握及びそれに応える基本的指針について統一見解を示し、学内が一応平静をとり戻して正常な授業が併行して回復しつつあった六月下旬に至って、原告の担当する第一学年一組及び同二組の地理Bの授業時間に、生徒側が原告に対する信頼を失い、あるいは原告に離反して、生徒によるいわゆる自主授業や、話す教師を無視して自習するという行動を招いたこと、教科書による授業を求める要望書を原告に提出したり、同様の要求から校長の権限による措置を求める嘆願書を校長に提出するという事態を生じたこと、そして、このような状態が同年九月下旬にまで及び、しかも生徒との離反を深める一方であったことに鑑みると、指導の主体である原告において、従来の受験本位あるいは型どおりの教科書学習に対する反省から、テーマ学習による生きた授業を行なおうとする意思は有していたとしても、そしてまた、原告が第二学期開始にあたり自分なりに授業計画を有していたとしても、学習の主体である生徒と原告との相対する場は、もはや原告と生徒との対話、討論を教科指導としてはもとより、原告の内面においてはなお教育活動であるとして理解することも困難な状態に立ち至っているものと評価せざるをえないのであって、そこには原告において教科指導を実践したという事実はないものと評価せざるをえない。また、いわゆる自主授業や自習が原告在室のもとに行なわれたからといって、それが右のような場でなされたものであることを思えば、そこに原告の授業があったと評価することはできない。
原告が真に自己の信ずる授業内容の実践を望むのであれば、自己の教育計画、教科指導の準備に基づき、教科書を主たる教材としたうえで、意図するテーマ学習を実践し、その実績を自己及び生徒に問いながら授業の旧弊を改善してゆくことは、統一見解の時期や生徒の提起した問題の具体的解決のいかんにかかわらず、教育をつかさどる者としての指導的立場から早期に着手しえたはずであり、高等学校において必要とされる授業時間数の観点における地理Bの科目の知識、技能面における生徒の損失を防止しえたはずであって、本件のごとき長時間の生徒との討論や、方法論につき生徒の了承を得るまでの説得ないし結論への到達をまたねば着手できないものとは考えられない。また、夏季休暇中、何らかの機会をとらえて早期に通常の授業に復帰するための生徒との対話に努めた形跡もうかがわれない。
してみると、原告は教師全体の統一見解を安易なものとしてこれを許容しがたい心情にあり、コース別、能力別による差別体制の廃止等自己の信ずる改善が現実のものとして進められない限りは、教師として平然と授業をすることをいさぎよしとしない一心に固執し、当初の紛争の時期はともかくとしても、その後長期に亘り生徒に対し教科学習の空白を強いたものであって、すでに生徒との間に信頼関係を失った状況下では生徒との対話、討論により教科指導に代替する人間教育を行なったとみることもできないから、それは、授業の放棄であるというほかはなく、しかも、授業をなすべき旨の校長の職務命令を受けた後も右状態を継続したものであって、教育の内部の問題として評価しうる範囲を逸脱するものというべきである。
2 原告は、校長が原告の意思を無視して授業参観をすべく無断で教室に入ったため授業が妨げられた旨主張する。一般に、授業参観については相互にこれを行なって批判することは有益であり、信頼関係を前提として行なわれる限り問題はない。本件においても、校長が事前に原告に対し参観の趣旨を告げて原告の了承を得ることが望ましいことはいうまでもない。しかし、校長として原告に対する配慮に欠けていた側面がなかったとは旨い切れないとしても、意図的に授業を妨害したものではなく、校長の期待するいわゆる正規の授業と、原告の意図する授業の目的、方法につき、両者の対話の機会は第二学期に入る以前にも十分得られたはずであるにもかかわらず、かかる機会がほとんど持てなかったことには原告の一徹な性格及び我執に基因するところが大であったとみざるをえないのである。前記九月当時の状況において、校長の参観につき原告の事前の了承を期待できないことは明らかであり、右参観は学校教育法第五一条により準用される同法第二八条第三項にもとづく校長の監督行為としてなされたものと考えられ、学習指導要領に則った授業が行なわれているか否かをみることは何ら差支えないところ、それまでの生徒、父兄からの要望及び原告の言動態度に照らせば、その段階で、善処方を迫られた校長が、その職務上、事態を正確に把握するために必要であるとして、事前の了承の有無にかかわらず原告の授業時間を参観しようとしたとしても、それはまことに無理からぬことであるから、これをもって原告が授業をしないことを正当化する理由とすることはできない。そして、実際上、参観のための校長の入室自体が授業の妨害となるとは考えられず、また、教室内で校長が原告に対し地理の授業を命じ、それをめぐって原告との間に言葉のやりとりがあって、原告の志向するとおりの対話、討論等に当該時間を使用することが妨げられたとしても、それは前述のように授業と評価しえない状況にあった際の応酬であったと考えられ、妨害されるべき授業はないのであって、これを授業ができなかったことの原因としてみることはできない。
3 また、原告は、教師集団の決定に従い、生徒の指摘した差別教育の解消、授業内容の改善という問題に正面から真面目に取組み、苦悩しながら誠実に努力したものであり、原告の未熟さ不器用さの故に僅かばかりの時間授業が順調に行かなかったからといって、授業の放棄、職務懈怠というのはあたらないと主張する。
たしかに、各教科の授業について解決すべき問題は授業時間中に教科担任の教師と生徒の間で討議するというのが教師集団の決定であるが、多数教師の意見には、授業を行ないながら問題の解決にあたるべきだとする前提がある。また、原告の授業が行なわれなかった時間数は、休暇期間等を除けば一〇か月に満たない第一学年間の授業日数からみて、到底僅かなものといって済ませることのできるようなものではない。しかして、差別教育の解消や授業内容の改善は、もとより、学習の主体である現在及び将来の生徒のために、なされるべきものである。したがって、真摯誠実にそれらを解消し改善しようとする努力は、それが相当の期間を要するものであれば、その間における当面の学習の主体である現在の生徒の損失を防止するための配慮を、不可欠のものとして伴うことになるはずのものと考えられる。しかるに、原告の場合、校長その他の教員に対する発言や父兄集団における発言はさておくとしても、長期間にわたる討論が生徒の信頼の喪失という結果に終っていること、その間先輩同僚に積極的に指導助言を求めるという態度は全く見られないこと、夏季休暇というそうした配慮のためには絶好の機会を、補充授業を代ってやってもよいという同僚教諭の協力の申出をも断って、無為に過していること、校長の職務命令が出るに及んでも、なお、まずテーマ学習を実施するという自己の方針に固執し、とりあえずは生徒の信頼の回復に努力するという態度が見られないこと等にかんがみれば、原告には、反省、是正の機会はいくらもあったのに、終始、右の現在の生徒の損失を防止するための配慮、更には生徒の教科学習の遅れに対する不安、焦燥に対する配慮が欠けていたものといわざるをえず、それは、原告が未熟だとか不器用だとかいうことで済ますことのできる問題ではないと考えられる。
(証拠略)第一学年二組の学級日誌の六月二〇日の欄には、「三年八組での合同ホームルーム中でてきた山下先生の問題だが私個人としては先生の気持がよくわかった、山下先生はあまりにも潔癖すぎるのではないだろうか」、とする週番の所感に関連する担当所感として「ああいうのを純粋とはいわないと思う、自己満足というべきであろう」との記載がある。担当教諭がそうした場所にそのような記載をすることの当否はともかくとして、右に述べたような諸点を考えれば、原告には、当時すでに同僚の教師からもそうした見方をされても仕方がない面もあったものと考えられるのであって、原告がその主張のような努力をしていたものと認めることはできず、右原告の主張は採用することができない。
4 次に、試験監督の点についてみるに、試験監督は単に試験用紙の配布、回収という機械的作業にとどまるものではなく成績評価の一方法である試験を公正に施行し、これにより評価の適正に資するための教育活動の一環として教職員が分担する校務とみるべきである。
原告は、監督を行なわなかった理由として、自己が試験の実施自体を否定しており、監督を行なえる心情になかった旨主張し、他の教員の代替により試験の実施に支障等の実害はなかったものであり、まして試験の妨害をしたものでもない旨主張している。しかし、右は前記校務の拒否を正当化すべき合理的理由にあたらないことは明らかであり、むしろ、教育にたずさわる者の資質にかかわる思考であって、教育者の良心に従った行動として許容しうるものではない。原告が試験監督を行なわなかった行為は職務の懈怠というほかはない。
5 次に、成績の一律評価の点についてみるに、第一学期の授業の停滞、試験ボイコット者の存在などのため、第一学期の成績評価につき、社会科としては、いかなる形にせよ、評価の方法があることを前提としたうえで、具体的な評価の方法を結局個々の教諭に委ねたのであるが、その際、原告が担当する第三学年十組の日本史の成績について、原告が、クラスの各生徒が一〇の評価にあたる成績を示したことを認定したものでないことは明らかであるから、全員につき一〇と記載したことは、原告としては評価できないこと、ないしは、評価しないことを記したにすぎないのであって、何ら評価が行なわれていないことはいうまでもない。そして、評価を伴わない教育は無意味であり、教師の成績評価が学習の効果を知る重要な資料であり、かつ、教科指導の指針として教育と不離の関係を有するものであることに鑑みると、原告が結局成績評価をしなかったことはまた、職務の懈怠と言わざるをえない。
(三) 以上(二)に述べた原告の行為のうち、地理Bの授業をしなかった点は、その程度、態様及び地域社会に与えた影響等に鑑み、地方公務員法第三〇条、第三二条、第三三条、第三五条に違反し、同法第二九条第一項第一ないし第三号に該当し、試験監督を拒否した点は、同法第三二条、第三三条に違反し、同法第二九条第一項第一号及び第二号に該当し、成績の一律評価の点は、同法第三二条に違反し、同法第二九条第一項第一号及び第二号に該当するものと解される。
もっとも、右のうち成績の一律評価の点は、本件懲戒処分の理由説明書には、処分事由としては明記されておらず、これに明記されている処分事由とは事実関係を異にするところ、懲戒処分を受ける者に処分事由を記載した説明書を交付すべきことを定める関係法条の趣旨及び前記本件懲戒処分理由説明書の記載の程度、本件懲戒処分に至る手続過程に照らせば、本訴において成績の一律評価の点を本件懲戒処分の別個の処分理由として追加主張させることは許されないものと解するのが相当であるから、この点は、処分量定の情状の主張として扱うこととする。
(四) 原告は、本件懲戒処分は原告の行為に対する過酷な処分であって、懲戒権の濫用にあたる、と主張する。
そして、その一環として、原告は、本件懲戒処分をするに当ってその事実認定の資料とされたのは校長報告書が中心であり、その他には、生徒からの要望書と一組と二組の学習日誌のみであって、県教委側から三原高校へ赴いての事実調査、原告からの事情聴取が一切行なわれていない結果、被告は重要な事実について誤認をしている旨主張し、被告は(1)第二学期の授業開始にあたり原告が授業計画を有していることを知らなかったこと、(2)原告が教科書を使用しない授業を確信的に意図し、教科書に基づかない授業をしているものと誤認していたこと、(3)原告が六月一〇日の学校紛争発生当初はともかく、前記統一見解の発表、ロングホームルーム設置に伴い、地理授業の「目的」「方法」について生徒たちと話し合っていたにもかかわらず、学級日誌記載の「討論、対話、自習」について原告が同校の差別教育の問題のみを話していると誤認していたこと、(4)「六月紛争」における同校の全校的状況を把握していなかったこと、(5)校長が原告の授業を妨害するなど、少なくとも原告に対する配慮に欠けていたことにつき処分権者として知らなかったこと、を挙げている。
しかしながら、原告に、昭和四五年六月二〇日から同年九月二六日までの間において第一学年一組及び二組の地理Bの科目について正規の教育計画に基づく授業を行なわず、また、同年九月四日から同月八日までの間行なわれた第一学年及び第二学年の考査において四日間にわたり試験監督を行なわなかったという懲戒事由に該当する行為が存すること、右原告の主張(1)及び(5)の点に関連する諸事情が、右事実の認定判断に影響を及ぼすものでないことは、既に述べたところから明らかである。次に、右原告の主張(2)及び(3)の点であるが、本件懲戒処分の理由は、「正規の教育計画に基づく授業を行なわず……」との表現を用い、必ずしも原告において意図的に教科書を使用しない授業をなす考えを確信的に抱いていると認識したうえでの処分であると認めることはできず、むしろ、処分事由は授業自体の実践がないことを根幹としていることが明らかである。しかして、右の授業の欠如が地理Bの授業方法に関する討論、対話すらなく同校の差別教育の問題のみに終始していたと誤認していたことを認めるべき証拠はなく、授業、学習の方法論が話合われていた事実は先に認定したとおりである。さらに、同(4)の点については、「六月紛争」における三原高校の状況は前記三の(三)に述べたとおり校長から被告に対し報告されていたほか、新聞紙上にも報道され、その概要は被告において把握していたものと認められるところ、同校内における各教員、各学年、各学級等に関する詳細な全校的状況を被告において把握していたかは疑問であるが、「六月紛争」という背景において同校内に生起した諸事情のいかんにより、原告の前叙の行為自体あるいはその行為の評価に決定的影響を及ぼすものとみるべき事情は、本件各証拠によってもこれをうかがうことはできない。
したがって、本件懲戒処分にあたり被告に重要な事実の誤認があったということはできない。
ところで、懲戒権者は、懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、諸般の事情を考慮して、懲戒処分をすべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきか、を決定することができるものと考えられるが、その判断は、右のような広範な事情を総合的に考慮してなされるものである以上、平素から内部の事情に通暁し、部下職員の指揮監督にあたる者の裁量に任せるのでなければ、到底適切な結果を期待することができないものといわなければならない。それ故、公務員につき法所定の懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行なうかどうか、懲戒処分を行なうときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである。もとより、右の裁量は、恣意にわたることを得ないものであることは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でないかぎり、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないものというべきである。したがって、裁判所が右の処分の適否を審査するにあたっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか、又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合にかぎり違法であると判断すべきものと解される。(国家公務員の懲戒処分に関する最高裁昭和四七年(行ツ)第五二号同五二年一二月二〇日第三小法廷判決、民集三一巻七号一一〇一頁参照)
原告は、本件のような場合、教科の担当を変える、原告に研修を命じる、又は時期をみて転校させる等の措置をとってしかるべきである旨主張するけれども、そうした措置をとるか否かはもとより被告の裁量権の範囲内の問題であって、懲戒事由が存在する以上、右別異の措置がとられなかったことは、本件懲戒処分の適、不適に直接かかわる問題ではない。しかして、原告が本件懲戒処分の理由とされた事実は、欠勤や担当時間に教室に行かないという形で授業放棄を行なったというものではなく、試験監督拒否の点を除き、少なくとも本件で問題とされている地理Bの授業時間にはほとんど担当の教室に在室していたというものであるけれども、地理Bの授業自体の実践に関してはその間ほとんど進展がなかったことは、否定することができないところである。高等学校教育においては、生徒の個性に応じた将来の進路を決定させ、一般的教養を高め、専門的な技能に習熟させること(学校教育法第四二条第二号参照)が教育目標の一つに掲げられており、履習すべき科目の単元自体の学習の空白を可及的に回避すべき配慮を尽くすことは、限られた授業時間と修業年限において右目標を達成する上で重要であることはいうまでもない。のみならず、教育基本法第一条所定の教育の目的を達成するためには、「学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない」(同法第二条参照)とされており、学校教育の内部においては教員と生徒との間に右敬愛と協力に裏付けられた一体的な内面的交流の教育の場が醸成されないかぎり教育の目的の実現は望みえないものというべきである。前叙のごとき本件における自己の意思に固執し行為する原告が、決して無思慮、無謀なことを志向していると言えない第一学年一組、二組の生徒らとの間の対応において、信頼関係の破綻状態を招来し、生徒に相当の期間にわたり授業の空白を強いた原告の責任は、原告の他の担当学年における授業の状況のいかんにかかわらず、重大であると評価されることは、無理からぬところであるといえる。
以上、述べたところから、本件懲戒処分の理由である授業を行なわなかったこと及び試験監督を行なわなかったことにおける義務違反の態様、程度等に鑑みると、仮に、本件処分当時被告において処分の種類につき選択の余地が残るとしても、それは先に述べたとおり、あくまで処分権者としての裁量の範囲内に含まれるものというべき内容、性質のものであるにとどまり、諸般の事情を考慮してなされた本件懲戒処分をもって著しく社会的妥当性を欠くものとはいえず、そこには裁量権の濫用はないものというべきである。
(五) 本件懲戒処分にあたり、被告があらかじめ原告の弁明をきく機会を設けなかったことは前記のとおりである。
地方公務員法第二九条第二項によれば、懲戒の手続は法律に特別の定がある場合を除く外、条例で定めるべきものとされているところ、本件に関する「職員の懲戒の手続及び効果に関する条例」には、当該職員に弁明の機会を与えるべき旨の規定が存しないことは前記のとおりであるが、それは、地方公務員法が、不利益処分を客観的な基準に合致させることを保障する制度として事後審査制度を採用した趣旨を受けたものであると解される。
ところで、地方公務員法第二七条第一項は、「すべて職員の分限及び懲戒については公正でなければならない」旨規定しているが、右制度の趣旨に照らし、本件懲戒処分の事由が被処分者たる原告の本来の職務に関する義務違反の事実であること及び前記の認定にあらわれた本件懲戒処分に至る経緯にかんがみれば、本件懲戒処分にあたり被告があらかじめ原告の弁明をきく機会を設けなかったことをもって、手続の公正を欠くものとして本件懲戒処分が違法となるものと解する余地はない。
以上の次第で、本件懲戒処分に原告主張の違法はなく、右処分は適法になされたものと認められる。
五 よって、原告の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 富澤達 裁判官松本克己、同鳥羽耕一はいずれも転任のため署名、押印することができない。裁判長裁判官 富澤達)